(コ―― 著者 オ―― オコツト)
コ 仏教などでいう「悟り」とは一体何なのですか。
オ 最終的な意味では観察精神に入ることですが、とりあえずは覚醒を起こすということではないでしょうか。
コ あなたがたが覚醒と呼ぶ状態とは何を意味するのですか。
オ 覚醒とはシリウス領域に入ること、つまり定質を形成していくことを意味します。
定質とは、宇宙におけるあらゆるレベルの対化を等化していくことを意味します。
定質が力、性質がその反映です。
コ その「対化を等化する力」というのは、様々な二元性を一つに統合する認識力のようなものと考えてよいのですか。
オ はい、そのような意味で結構です。シリウスに生み出されるすべての位置の対称性を把握していく認識力のようなものです。
コ では、釈迦やイエスといった歴史上の聖人たちは、その意味において覚醒していたと考えてよいのでしょうか。
オ しばらく、お待ち下さい。
――自らを高次元知性体と名乗る存在にしてみれば当然のことなのかもしれないが、オコツトは過去、現在、未来を問わず、地球上に存在するすべての人間の意識状態を走査(スキャン)することができた。そして、多くの人々にその記憶が共有された人物であればあるほど、そこから引き出されてくる情報量は増大した。
オ ・・・・・釈迦やイエスは「人間の意識として覚醒を見た」ということであって、覚醒自体を起こしたとはいえません。
コ つまり、悟ってはいないということですか。
オ そうですね、「覚醒」と「悟り」を同じ意味を持つ言葉として捉えれば、そのようになるでしょう。人間の意識に覚醒が起きるためには、付帯質の力、つまり物質的な思考が必要とされます。その意味では、わたしたちが覚醒と呼んでいる出来事とは、最終構成において起こるものであり、反性質の状態で起こるものではありません。釈迦やイエスの時代においては、プレアデスの力がまだ十分ではなかったのです。そのために彼らはまだ覚醒という力に至ってはいなかったということでしょう。
コ プレアデスの力が十分ではなかったとはどういう意味でしょうか。
オ プレアデス的統制がまだ生まれていなかったということです。
コ プレアデス的統制・・・・・?
オ はい、「プレアデス的統制」とはあなたがたが科学と呼ぶものです。科学とはオリオンの力がプレアデスに反転して映し出された力なのです。
コ プレアデスに反転して映し出されたオリオンの力・・・・・?
オ 物質の構造にはオリオンの精神構造が反転して表れているということです。
コ ・・・・・? つまり、本当の悟りを開くためには、科学的な知識や思考が必要だという意味なのですか。
オ もちろんです。プレアデスにある付帯質の力を用いなければ覚醒は起こり得ません。
僕にはオコツトのこの説明はとても新鮮に聞こえた。普通、多くの神秘家たちは悟りという状態は思考の停止をしなければ得られるものではないと説いてきた。ましてや、科学が持っている物質的な思考が悟りの役に立つなどとは誰一人として語ってはいない。しかし、オコツトの言い回しは全くそれらと反対だった。悟るためには何と物質的な知識が不可欠であり、そして、物質とは何かを求める思考が必要とされるというのだ。そして、釈迦やイエスの時代においてはこのような力が不足しており、とうてい悟りを得られるような状態ではなかったと――――。
コ つまり、それは宗教者たちがよく口にする時の問題と関係があるのですか。人間が自らの存在の本質的意味に気付き、覚醒するためにはそれなりの時が必要であるといったような・・・・・。
オ そうですね。覚醒期においてしか覚醒は起こらないという意味ではそういうことになります。
コ ということは、つまり、有史以来、人類の誰一人として覚醒などしてはいないということになりますね。
オ もちろん、そういうことになるでしょう。覚醒とは人間の個体性が意味を持たなくなることを言うのですから、人間の個体という次元で起こる作用ではありません。ですから、「誰かが覚醒を起こした」などといった表現自体が意味をなさないのです。個体の意識に覚醒が起これば、その力はすべての個体に伝播します。人間の意識の覚醒とは方向性だけではなく、力を持つものなのです。
コ 「方向性だけではなく力を持つ」とは、どういう意味なのですか。
オ あなたがたの言葉で言えば、感覚的、直感的、達観的ということではなく、知性的、思考的、論理的・・・・・そのような意味です。他者にも一つの知的理解として伝達することが可能だということです。
コ 確かに、歴史上の聖人たちの説いた教えは、直感的で観念論的なのですが、多くの宗教では悟りとは本来がそのようなものであり、決して論理では語られないものとされています。つまり、それらは誤った考え方だとおっしゃるのですね。
オ はい、誤っています。悟りは言語で表現することも可能ですし、知性で理解することもできます。ただ、あなたがたにはまだそのような言語や知性が生まれていないだけのことです。
コ しかし、過去の聖人たちはなぜ「知性」ではなく「悟性」だというような言い方をしてきたのでしょう。
オ 知性とは何かが分からなかったからでしょう。
コ 知性が何か分からなかった・・・・・聖人たちがですか。
オ はい。
こりゃあ、いい。まさに痛快だ。オコツトはブッダやイエスといった宗教上の聖人たちのことを何とも思ってない。全く無関心といった感じなのだ。
コ では、科学がまだ存在していなかった過去の時代、歴史で語られている賢者や聖人たちの精神的な営みとはどのような意味を持っていたのでしょうか。
オ プレアデスに生み出された人間の意識の進化の方向性を、安定化させるための調整作用として現れたものだと思います。タカヒマラの持った進化の方向性を安定化させるためのオリオンからの関与です。
コ オリオンからの関与?・・・・・
● 覚醒
オコツトのいう覚醒とは、普通、宗教的に用いられる覚醒という言葉のニュアンスとは全く意味合いが違う。覚醒とはここにも明記してあるように、人間の意識が定質を作り出すことを意味しており、これは、意識を空間の幾何学として把握することの意である。
● 位置
シリウス言語で「位置」というときは、意識の位置のことを意味している。タマヒマラには観察子という概念によって様々な意識の次元が空間的構造として区画化されており、その相違によって、意識の位置を特定することができる。
● プレアデス的統制
付帯質的統制と呼ぶこともある。人間の内面領域のみに宇宙を見てしまうこと。人間の内面とは物質世界に対応しているので、科学的世界観や唯物論的世界観などがその典型的なものとなる。
● 時の問題
宇宙には大きな時間周期があるとする説は多くの宗教に見出される。キリスト教では@現在の時間の後にA千年王国があり、B新しいエルサレムが出来るとされる。マニ教では世界は無始無終だが、@原初にはまだ明暗が分離しており、A中間期の現在は善悪が戦い、B終末期には善が勝って再び明暗が分離する。初期のゾロアスター教では、初めの三千年が@アフラ=マズダー(善)の時代、次の三千年がAアーリマン(悪)の時代、最後の三千年がB両者の戦いの時代で、善が勝つ。神智学では宇宙はマンバンタラ(顕現期)とプララヤ(壊滅期)を繰り返す。仏教では釈迦の入滅後、正法・像法・末法の三時があるとする。ちなみに現在は末法期にあたる。
● 覚醒期
タカヒマラが変換人の意識によって動いている時期のことをいう。覚醒期に対して、調整期というのがあり、こちらはタカヒマラが人間の意識によって動いている時期のことをいう。オコツトによれば、覚醒期と調整期は約6500年周期で入れ替わっている(第二章三節「アトランティスの残像」を参照のこと)。
(第1章1−2「ブッダを超えて――悟ったものなど一人もいない!」より後半)
※ロングセラーとなっている『2013:シリウス革命』残り僅少ですので、
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