2010年12月08日

真言密教の瞑想法

まんだら.gif

今回は三重県四日市市に在る観蔵院というお寺さんのご住職が上梓された作品を紹介させていただきます。
「自己を見つめなおす」として、多くの著名人が瞑想を実践されていますが、その流派といいますか手法は様々です。
この「光まんだら」を書かれたご住職の和田仙心さんは、作品の中であの空海も実践した真言密教の瞑想法を紹介しています。
作品の後半部分でステップを踏んだ真言密教瞑想法を解説していただきましたが、ブログ上で公開できるのは冒頭の一部になります。
企画部の私も心安らぐ作品です。


自分の宇宙(こころ)を見つめる瞑想の効用

あまりにも悲しいことです。この十年来、我が国の自殺者が毎年三万人を超えているという現実です。平和ボケの日本と言われますが、この数字は、大きな戦争の犠牲者の数にも匹敵します。病苦であったり、倒産の借金苦であったり、長年の介護疲れによるノイローゼ、身内の問題やイジメであったりと、自殺理由はさまざまです。しかしその理由がどうであれ、共通する点は、自分で自分の心が見えなくなっている、ということではないでしょうか。
苦しみの闇のどん底にいる人を救い出すことはたいへん困難です。身も心もマヒ状態になっていて、他人の忠告など聞こえなくなっているからです。そんな人にはある種のショック療法が必要ですが、それをするにしてもタイミングを見計らい、人によって療法を変えなくてはいけません。とにかく、自殺衝動に追い込まれている人は、一時的な対処療法ではなく、何らかのショックを与え、自分の心を見つめてもらうしかないのです。自分の心を静かに見つめる最良・最善の方法は瞑想です。

瞑想というと、短絡的に宗教にむすびつけて拒絶反応を起こす人がいますが、それは大きな誤解です。瞑想は、心身を調える科学的なトレーニング法と言ってよいものです。最近、一流のスポーッ選手はよくイメージトレーニングをするようですが、私がこの本のなかで述べる瞑想法は、そうしたトレーニングの基礎にもなるものです。その瞑想法については後に詳しく述べますが、ここでひとつだけ言っておきたいことは、私たち人間を含め、この世のありとあらゆる生き物は、宇宙の律(法則)によって生かされている、ということです。言い換えれば、ミクロ宇宙もマクロ宇宙も、目に見えない網の目によって結ばれているのです。
イメージする、というのは心(脳)の働きそのものです。絶えず良いイメージを強く描いて行動すると、そのイメージどおりの事が起こったり、現実化したりします。なぜでしょうか?心の働きは強いエネルギーがあり、宇宙の律に共振するからです。ですから私は、宇宙という字を、「こころ」とも読んでいます。宇宙を「天」と言い換えてもよいでしょう。宇宙の律(こころ)をわかりやすく例えるなら、相思相愛の恋人同士、あるいは母と子の関係です。
両者の強い「思い」が引き寄せているから、言葉に出さなくても通じ合うのです。類は友を呼ぶのも、因果応報も同じことで、そこに宇宙の律が知らぬ間に働いているのです。将来、自分はこうなりたい、こんなことをしたいという想いを念じ続けてみてください。宇宙の律に合った想いは現実化していく法則があるのですから、叶わないはずがありません。逆に悪い想念を描けば、悪くなっていきます。人間は弱いものですから、ついマイナスのこと、心配ごとを考えてしまいがちです。そういう想いを描かないようにするためにも、日頃から瞑想を習慣づけて自分の心を見つめ、自分だけでなく、周りの人たちも明るく元気づける想念を描くことが大切です。そんな人はどんな逆境に陥ろうと、自殺することなどありえません。むしろ逆境を与えられた試練として人間的にひと回りもふた回りも成長するのです。

ほんとうの自分に出会う喜び

瞑想というと、ひたすら無念夢想の境地を求める禅宗の座禅をイメージする人が多いと思いますが、密教の瞑想法はそれとは大きく異なります。密教の瞑想は、「空」や「無」の境地に達しようとするものではなく、ある対象に向けて積極的にイメージの世界を広げていくのです。そもそも「空」とか「無」というのは、からっぽで何もないのではなく、「イッパイある」のです。この宇宙で変わらないものは何ひとつない、という意味が「空」であり「無」なのです。空無、すなわち虚空からすべてが生じます。密教の瞑想は、非常にアクティブでポジティブな心身のヒーリングです。ですから当然、この瞑想法を身につけると、何事に対しても肯定的・積極的になり、いわゆる陽性の人になっていきます。小さなことにクヨクヨしない、明るい性格の人の周りには、自然に大勢の人が寄ってきます。人が寄るところには、有益な情報も集まりますから、ビジネスマンや商売人は成功します。現代の脳科学者は言っています。人間の脳は、まさに宇宙的に膨大な細胞からなっており、ものすごい潜在能力が秘められている。しかし、ほとんどの人はその数パーセントも活用していない、と。なるほど、と私は納得します。実際、自分の思いこみや好き嫌いの感情で封じ込めてしまった潜在能力は、誰しも持っています。たとえば、人は幼児期の体験から、あること(物)が嫌いになると、そのことにかかわるすべてが嫌いになって避けようとします。あるいは、先入観のために消極的になり、それから遠ざかろうとします。そのために、本来そなわっていたはずの能力が発揮されないまま一生を過ごしてしまう、ということはあるでしょう。むしろ多くの人の人生がそうかもしれません。先入観や好き嫌いのために眠っていた能力を目覚めさせる。その目覚めのスイッチを入れる最良の方法は、自分自身への気づきなのです。アクティブでポジティブな密教の瞑想は、イメージカを高めていくプロセスで、ほんとうの自分に出会った喜びを感じます。そして、自分がほんとうに望んでいること、すなわち自分の欲望が目覚めます。この欲望こそ、その人の正真正銘の夢であり希望です。夢や希望のない人生ほどつらいものはない。ほんとうの自分に出会う喜びがあり、夢や希望が具体的に描けるから、それに向かって意欲的・積極的になっていけるのです。自分の欲する理想のイメージを喚起することによって生きるパワーを高め、この身のまま最高の心の状態、最高の霊性を保ち、慈愛のこもった静かな境地にいたることが密教の瞑想だといってよいでしょう。

瞑想は自由気ままな心の旅

密教の瞑想は、人類の叡智として結晶した手法ですが、けっしてむずかしいものではありません。最初から思いどおりにできなくとも、気軽に、気長に続けているうちに楽しくなり、その絶大な効果を実感するでしょう。とにかく、瞑想なんて自分の性に合わないと思わないでください。瞑想なんてヒマ人のやることなどと思わないでください。むしろ多忙な人ほど、瞑想する効果は大きいものがあるのです。忙しい人ほど、静かに自分を見つめる瞑想時間のありがたさを実感できるからです。その効果は、現実に具体的な形として起こるものですから、ご利益と言い換えてもよいでしょう。なぜ瞑想が大切なのか。また、なぜ瞑想を続けるとご利益を得られるのか……。次の空海の言葉を繰り返し、声にも出して読んでみてください。

「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、
死に死に死に死んで死の終りに冥(くら)し」

呪文のように繰り返し唱えていると、何か感じるものがありませんか?
いのちとは何か。自分はなぜ生まれてきたのか。自分とはいったい何者なのか。何のために生きているのか……。そんな思いが、ふつふつと沸き起こってくるのではないでしょうか。振り返ってみれば、自我に目覚めた十代のころから、この問いを自分自身に何度となく投げかけてきたのではないですか。それであなたは、自分を納得させる答えが見つかりましたか?おそらく、その答えが見つからないまま、その問いもいつしか忘れて、多忙な毎日を送ってきたのではないでしょうか。

空海の言葉は、このように解釈できます。
「われわれは何度も何度も生まれてきたのに、どこから生まれてきたのかを知らず、死を繰り返しても死の意味をさとることがない」つまり多くの人が「生も死も知らないまま」、人生を終わらせているということです。ということは、自分自身のほんとうの存在意義もわかっていないということです。自分を知らないから、大きな挫折をしたとき、あるいは思いがけない不幸にあったとき、自暴自棄になったり自殺に走ったりするのです。多忙な毎日のなかでも自分自身を見つめる静かな時間を持つ、すなわち瞑想を習慣づけていれば、我を見失うことはありません。森羅万象変わらざるものなく、自分の心(意識)も変わっていきます。だから日々瞑想をして、今のほんとうの自分(意識)を見つめる必要があるのです。その意味で瞑想は、変わっていく自分に出会う旅、と言ってもよいでしょう。誰にもじゃまされず、自由気ままな心の旅をする時間ほど、楽しく贅沢なものはありません。毎日の生活のなかでこの時間をもつことによって、私たちの心は癒され、人生そのものも充実し深まっていく。実はそれこそが最大のご利益なのです。「もっと元気を出そうよ」と言われても、なかなか元気が出てこないという人は、ぜひ今日からでも瞑想を始めてみましょう。体の奥底から元気の源がすこしずつ湧いてくるのを実感するに違いありません。それを自分自身で確かめてほしいのです。

しみじみとした幸福感を覚える

最近、あなたはどんなことに感動したり喜んだりしたでしょうか?喜ばしいことばかり続けばよいのですが、人の一生は大なり小なり一喜一憂の連続です。箸が転がってもおかしくて笑う時期もありますが、多くの人は歳をとるにつれて喜びや感動できることが少なくなる傾向にあります。それはしかし、とても残念なことであるばかりか、もったいないことではないでしょうか。
身体は歳をとっても、気持ちの持ちようで、心はいっこうに歳をとらないのです。だから幸福感に満ちて気持ちも若々しい人は、ちょっとしたことに感動したり喜んだりして、他人の不幸には心から悲しみます。その人自身はあまり意識していないのに、遠赤外線のような癒しの波動を発して、ほんわかと周りを包み込みます。そんな佛様のような人は少ないのは事実ですが、実は、あなた自身もかつては佛となるべき菩薩だったのです。赤ちゃんだったあなたは、泣いたり笑ったり、ハイハイしたりして、家族や周りの人たちを喜ばせていたのではないですか。赤ちゃんは喜ばせようと思っているわけではないのに、ちょっとした仕草や笑顔が愛らしく、人々の心を和ませます。打算のない清らかな心を「赤心」と言い、菩薩の心とも言えるでしょう。この菩薩心は、誰にも本来そなわっているのに、いつしか忘れてしまうのです。人は、菩薩の身から修行・精進して佛になっていくわけですが、そのことを空海はこう言っています。

「人はその身体の中に、本来清らかな佛たるべき性質をそなえている。佛への道は遠くない。ただ、心の持ち方、考え方を変えればよいのである。あらゆる存在は心の認識より始まる。心を離れて何ものも存在しない」

「本来清らかな佛たるべき性質」とは、菩薩の心のことです。せっかく「佛たるべき性質」をもってこの世に生を受けながら、世間の厳しい荒波にもまれているうちに、打算を覚え、平気で人をだますような人間にもなってしまう。しかし、自我をむき出しにして、自分の得ばかりを考える生き方をして幸せになれるはずがありません。人を喜ばせたり感謝したり、利をもたらしたりといった「利他の精神」がない人は、一時は絶頂に至ってもいつか必ずつまずくのです。そのときは誰も助けてはくれません。

もし、あなたがいま、幸せな気持ちでないとしたら。
もし、あなたがいま、何かに思い悩んで、行きづまっているとしたら。
もし、あなたがいま、進むべき道の選択に迷っているなら……、今日からでも瞑想を始め
てみてください。

瞑想の仕方はさておき、とにかく静かな部屋でひとり坐って、三十分、一時間と、自分の心と対話してみましょう。瞑想している問に、色々な音や声が聞こえてくるかもしれません。その声からも逃げず、じっくり耳を傾けることです。おそらく、ただ坐っているだけでは、あなたは混乱するでしょう。そこで第2章に書いてあることを参考に、密教の瞑想に移ってください。瞑想を始めた当初は、時間がものすごく長く感じたり、身体の苦痛を覚えるかもしれません。しかし、毎日すこしずつ時間を延ばし、十分、二十分と続けていくと、ある日突然、何ともいえない爽やかさを感じるでしょう。そのとき、あなたはやっと瞑想という山の麓に至ったわけで、山頂はまだまだ先にあります。瞑想を習慣づけていくと、やがて山頂に立つことができますが、そのときあなたは、しみじみとした幸福感に包まれるでしょう。
生きているから瞑想もできる。こうして静かに瞑想できることは、なんとありがたいことか。そう感じることができたら、あなたのなかに眠っていた佛性がゆっくりと呼吸を始め、心の中に穏やかな光を感じたということです。その光は、瞑想を楽しむようになったあなたに送られる大日如来の慈悲の波動、光のエネルギーです。それは、母親の胎内で安心しきって呼吸する嬰児に似ているかもしれません。

〜「光まんだら」和田仙心著 第1章より一部抜粋〜





※話題のWikiLeaksも当然UFO関連の公文書を入手していると思いますが、次回はそのUFO関連でTOP SECRET扱いだった公文書をアップさせていただくかもしれません。

posted by たま出版 at 14:22 | Comment(0) | 古代の英知/日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする